○○の戦いは、前48年に起きた、古代ローマを代表するカエサルとポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。→ファルサルスの戦い
(クラッスス)カルラエで勝ってたら俺だって・・・。
大勝利といわれるファルサルスの戦いも、直前に精鋭第九軍団のストライキ、ポンペイウス派に海上封鎖され物資困窮と詰んだ状態から(様々な幸運があったと言え)逆転する辺り、やはり只者じゃないカエサル。
貸主「貸していた金を返してください(涙」
禿の借金王「返すためにも俺に協力してね(ニチャア」
極限まで借金を膨らますことで立場を逆転させる裏技。普通の人が真似したら死ぬが、やつは超英雄だった。
ポンペイウスは閥族派のスラの後継者として台頭し、多くの戦功を立ててローマ市民から絶大な名声を得たわ。
第一回三頭政治にも参加したのだけれど、後にカエサルと対立しファルサルスの戦いで敗北、エジプトに逃亡したのち暗殺されたわ。
とても人気のある実力者だったのに運命は残酷ね。
まずデュッラキウムの戦いでポンペイウス側が快勝した事でカエサル軍への侮りが生まれたのかもしれない
次にファルサルスの戦い序盤でカエサル軍の騎兵があっさりと蹴散らされた事でカエサル軍は敗軍であり楽勝出来るという気持ちが生まれも仕方ない
ファルサルスの戦いでのポンペイウス側の騎兵がなぜカエサルの歩兵相手に潰走したのかという謎を推察というか妄想してみる
内乱記を読むたびに同じ感想を持ってる気がする。。ファルサルスの戦いの研究資料でも探せば良いのかな
ファルサルスの戦い、ポンペイウス側の騎兵の崩れ方が何回読んでも納得いかない
重装長槍部隊を置かれて突撃出来なくなったのはまだ判るけど、なぜ味方と戦場を捨て逃げ帰らなければならないのか
普通にじわじわ囲ってれば勝てたろ
ポンペイウスは閥族派のスラの後継者として台頭し、多くの戦功を立ててローマ市民から絶大な名声を得たわ。
第一回三頭政治にも参加したのだけれど、後にカエサルと対立しファルサルスの戦いで敗北、エジプトに逃亡したのち暗殺されたわ。
とても人気のある実力者だったのに運命は残酷ね。
アレシアの戦いで自らを囮として敵の注意を引いて後背からの奇襲を成功させた様にファルサルスでも自軍の騎兵をわざと負けさせて敵の騎兵を調子づかせた所に強固な抵抗をする事で敵の不意をついて恐慌状態にしたという可能性はありそう
カエサル麾下のガリア戦で安定した強さを見せたラビエヌスがポンペイウス陣営についた後に目立った強さを発揮できずファルサルスの戦いではカエサルに破れムンダの戦いで敗死したのはラビエヌスの能力の低さやカエサルの能力の高さ故では無いと思う
ウマ娘世界史といえば
ファルサルスの戦いで劣勢であったカエサルは重装歩兵を持って騎兵の突進を止めて槍を突き刺すことで騎兵を打倒したが
ウマ娘も前方に障害物(人間)があれば本能的に止まってしまうのかもしれない
別に不思議ではないというか生物として当たり前の話か…?
ファルサルスの戦いでの騎兵の多さとザマの戦いでの騎兵の多さを同質とみるのは見る目がなさ過ぎる
地中海最強のヌミディア騎兵と多種多様な地域からかき集めた意思の疎通が取れていない騎兵が同じ訳ない
でも元老院の反カエサル派のアホどもはそれが理解できなかった
この流れとデュッラキウムからのファルサルスの流れが似ているようにみえる
紀元前48年、ファルサルスの戦いでカエサルに敗れたポンペイウスは、アレクサンドリアに逃れる。ところが、プトレマイオス13世はポンペイウスを裏切って処刑し、その首をはねて、エジプトに乗り込んできたカエサルに献上した。これを見たカエサルは心を痛め、
ポンペイウスは閥族派のスラの後継者として台頭し、多くの戦功を立ててローマ市民から絶大な名声を得たわ。
第一回三頭政治にも参加したのだけれど、後にカエサルと対立しファルサルスの戦いで敗北、エジプトに逃亡したのち暗殺されたわ。
とても人気のある実力者だったのに運命は残酷ね。
ガイウス・カッシウス・ロンギヌス - 【そのとき42歳】ファルサルスの戦いでポンペイウスが敗れるとカッシウスは他の元老院議員同様カエサルに許され、カエサルの支配するローマで紀元前44年に外国人係プラ/ケイレキペディア - https://www.keirekipedia.org/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%8C%E3%82%B9
ポンペイウスは閥族派のスラの後継者として台頭し、多くの戦功を立ててローマ市民から絶大な名声を得たわ。
第一回三頭政治にも参加したのだけれど、後にカエサルと対立しファルサルスの戦いで敗北、エジプトに逃亡したのち暗殺されたわ。
とても人気のある実力者だったのに運命は残酷ね。
今朝は職人と土工屋と社長の段取りをしなきゃならなくてファルサルスの戦いの時のポンペイウスはこれより酷い状況だったのかなと過去に思いを馳せて自分の心を護った…
ポンペイウスは閥族派のスラの後継者として台頭し、多くの戦功を立ててローマ市民から絶大な名声を得たわ。
第一回三頭政治にも参加したのだけれど、後にカエサルと対立しファルサルスの戦いで敗北、エジプトに逃亡したのち暗殺されたわ。
とても人気のある実力者だったのに運命は残酷ね。
ポンペイウスは閥族派のスラの後継者として台頭し、多くの戦功を立ててローマ市民から絶大な名声を得たわ。
第一回三頭政治にも参加したのだけれど、後にカエサルと対立しファルサルスの戦いで敗北、エジプトに逃亡したのち暗殺されたわ。
とても人気のある実力者だったのに運命は残酷ね。
クレメンティア、アレシア、ファルサルス…このへんピンとくるフォロワーさんはいらっしゃいませんかーーーッ!!!教えてーーーッ!!
イレルダの後に第9軍団が反乱を起こし、ファルサルスの後で第10軍団とアントニウスがボイコットをした
スッラの時は軍団の反乱は起きてなかったと思うのだが違いは何なのだろう?
【紀元前46年9月26日】2067年前の今日
ファルサルスの戦いでの誓いを果たすため、ユリウス・カエサルが神話上の祖先ウェヌス・ゲネトリクスにウェヌス・ゲネトリクス神殿(Temple of Venus Genetrix)を奉ずる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8826%E6%97%A5
紀元前46年9月26日、ファルサルスの戦いでの誓いを果たすため、ユリウス・カエサルが神話上の祖先ウェヌス・ゲネトリクスにウェヌス・ゲネトリクス神殿(Temple of Venus Genetrix)を奉ずる。
ファルサルスの戦い、捕縛されたブルータスにカエサルが放った言葉。先程ツイしました。
@tomoanisake でも親心が本人自身の保身にもなるっていう事、理解してほしいです
カエサルがファルサルスでポンペイウスを破った時、ポンペイウスの陣営では祝勝会の準備が整っていたみたいな話だな
ロシア軍は長期戦ではなく、キエフへの勝利の行進を準備していたため、兵站が十分に確立されておらず、大砲も十分に準備されておらず、電子戦装備も十分に配備されていない状態で戦闘に突入したのであった。
○○の戦いは、前48年に起きた、古代ローマを代表するカエサルとポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。→ファルサルスの戦い
ファルサルスはそんな簡単なことで!?みたいなアイデアで完全試合キメるのですげぇよ
ファルサルスで左翼を破られたポンペイウスは尻込みして撤退したのだろうか?
ポンペイウス側の弱点は軍がポンペイウスを頂点として纏まっていなかった事と練度が圧倒的に低かった事でこの敗戦で邪魔な元老院を排除できたという一面もあると思える
カエサルとポンペイウスが雌雄を決したファルサルスの戦いはポンペイウス側が槌と金床戦術、カエサルがファランクスを使っていてとても面白い
朝から夜まで絶え間なく放たれるパルティアンショットとかどう攻略するんだろ?
ファルサルスの戦いでラビエヌスを破ったファランクスもどきとか通用しないだろうし…お得意の土木パワーかな?
ファルサルスの戦いで勝ったあとスッラみたいに敵対した元老院議官を全員処刑して土地と財産を接収してその土地を退役兵に与えて身近な所にシンパを住まわせていたら誰も怖くて手出しをしなかったと思うわ
まぁスッラみたいになりたくないからああなんだろうけど
第10軍団といえばガリアでカエサルの第一の軍として戦い共にルビコンを越えファルサルスの戦いまで苦楽を共にした間柄なのにアフリカ遠征の前にストライキを起こしてゴネたらカエサルから戦友と呼ばれていたのが市民呼ばわりに格下げされて前田利家みたいな扱いになったのは笑うしかないでしょ…
今日はがあ、紀元前前48年、ファルサルスの戦いった日。ローマ内戦中の最大の激戦となった戦闘。ユリウス・カエサル(シーザー)がポンペイウスの元老院派を撃破。カエサルはローマの覇権確立へ大きく前進をすることに。
五反田、器
【今日は何の日】
・ピサの斜塔着工(1173年)
・大西洋会談開始(1941年)
・国旗国歌法成立(1999年)
・ファルサルスの戦い(紀元前48年)
・世界の先住民の国際デー(1994年制定)
(Wikipediaより)
ファルサルスの戦い(Battaglia di Farsalo) BCE48年8月9日
グナエウス・ポンペイウスらの元老院派とガイウス・ユリウス・カエサル率いるカエサル派の間で行われた戦い
ローマ内戦中の最大の激戦となった戦闘であり、カエサル派が元老院派を破った結果、ローマは帝政の時代に入る
【紀元前48年8月9日】2069年前の今日
ローマ内戦: ファルサルスの会戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%889%E6%97%A5
8月9日の世界的出来事
紀元前48年 ファルサルスの戦い。ユリウス・カエサルがポンペイウスを撃破
1173年 ピサの斜塔が着工
1803年 フルトンが蒸気船の試走に成功
1941年 チャーチル英首相とルーズヴェルト米大統領が大西洋上で日独伊への対処について会談
BC48年8月9日
ファルサルスの戦い。ユリウス・カエサルがポンペイウスを撃破
紀元前48年8月9日
ファルサルスの戦い
この戦いはローマ内戦中の最大の激戦となった戦いであり、カエサル派が元老院派を破った結果、カエサルはローマの覇権確立へ大きく前進した。
今日はファルサルスの会戦、ユリウス・カエサル、ポンペイウスを下す(BC48年) #romacalendar #今日はなんの日
好きな言葉
カリフォルニアロール、弾着時計、しぶこスマイル、芝刈り機、反跳爆撃、カヌレ、海軍陸戦隊、ファルサルスの戦い、メダカの学校、マカロン、二式大艇、悪魔の手毬唄、塩サバ定食、主機故障、チワワ砂漠、長平の戦い、森のくまさん、錨鎖庫、呉鎮守府、ガリガリ君ソーダ、南雲機動部隊
原理は似てるけど、計画と推移が異なるのがファルサルス?
歩兵が騎兵を止めている間に、再集結した騎兵が決定打となるという。
似てるだけで、ルノー伯の歩兵に円陣組ませて騎士を出撃させ、また円陣に戻って再集結して出撃するという動きである、ブーヴィーヌとこれは展開が全く違いますけど。
騎兵の襲撃と再集結時の歩兵の掩護について中世だと、ブーヴィーヌの戦いでブローニュ伯ルノーの騎士たちとフランドル歩兵隊の連携なんかは、そういった襲撃と歩兵の掩護の好例だよね。
○○の戦いは、前48年に起きた、古代ローマを代表するカエサルとポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。→ファルサルスの戦い
ポンペイウスは閥族派のスラの後継者として台頭し、多くの戦功を立ててローマ市民から絶大な名声を得たわ。
第一回三頭政治にも参加したのだけれど、後にカエサルと対立しファルサルスの戦いで敗北、エジプトに逃亡したのち暗殺されたわ。
とても人気のある実力者だったのに運命は残酷ね。
「ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)- #塩野七生」評価5 #ローマ人の物語
カエサルのイタリア南下に恐れをなしたポンペイウス派はローマを捨ててギリシアに逃れる。カエサルはスペインを制した後、ギリシアに渡り、紀元前48年のファルサルス決戦でポンペイウスを倒し、ついに政権を手中に!
「勝ったあとのことしか考えていない軍隊は敗れる」って第一次ファルサルス戦の戦訓だからな
○○の戦いは、前48年に起きた、古代ローマを代表するカエサルとポンペイウスの戦い。カエサルは、包囲を狙うポンペイウスの騎兵を重装歩兵で囲い込み、投槍を投げずにそのまま騎兵の顔や目を刺すよう指示して打ち破った。→ファルサルスの戦い
ポンペイウスは閥族派のスラの後継者として台頭し、多くの戦功を立ててローマ市民から絶大な名声を得たわ。
第一回三頭政治にも参加したのだけれど、後にカエサルと対立しファルサルスの戦いで敗北、エジプトに逃亡したのち暗殺されたわ。
とても人気のある実力者だったのに運命は残酷ね。